サバービア週報

精神的なこと。これも技術のうち

葛飾区に引っ越した

6年間住んだ世田谷区から葛飾区に引っ越して4ヶ月くらいが経つ。

引っ越してから城東と城西、下町と山の手は、同じ東京でもまったく別の文化圏なのだと思うようになった。

 

まず、街の作りが違う。世田谷区、杉並区あたりのいわゆる城西では、繁華街とは駅周辺のことを意味しているが、城東、下町ではすぐ近くに駅があるわけでもないところに唐突に商店街があったりする。

開発された時期の違いだろうか。城東では、もともと存在した繁華街を繋ぐように鉄道がひかれたのに対して、城西は鉄道がひかれたあとに駅周辺に繁華街ができていったような感じがある。

 

店の雰囲気も違う。葛飾区、荒川区、足立区あたりは個人が経営するような小さな店、ノリで始めてそのままダラっと続いているようなローカルな店がたくさんある。小さな店を構えて、どうにか生活していけるだけのお金を稼ぐことは、そんなに難しいことではないというノリが根底にあって、「もしかして俺でも店やれちゃったりするのかな」なんて思うことが多くなった。

世田谷にはそういう個人がノリで始めてっしまったような店はずいぶん少ない。小さな店であっても実はバックにわりとちゃんとした会社がついていたり、社長がやり手だったりとか、そんなパターンが多い。そもそも下北沢や三軒茶屋あたりはポッと出の個人が店を出せるような家賃ではない。とにかく甘い考えで店なんか始めるもんじゃない、しっかりとマーケティングして、資金調達して、人生を賭けるような心構えでやるもんだと、そんな気持ちにさせられることが多かった。

どちらが良くて、どちらが悪いというものではないだろうが、下町で育ったほうが自己肯定感は高まるのではなかろうか。

 

ここで言う下町とは、葛飾区、足立区、墨田区、荒川区、台東区の5区を主に指している。

厳密に下町を定義すると、中央区や千代田区、江東区あたりも含めるべきだし、もしくは「足立区は雰囲気が埼玉に近いので下町に含めるべきではない」とする意見もあるだろう(たしかに「城東」ではないし、足立区北側のエリアはだいぶ埼玉感はある)。また文京区や北区にも下町情緒あふれる街並みはある。

が、中央区や千代田区はやはり都心だし、江東区はベイエリアにタワマンが建ち並ぶ印象が強く、下町の一般的イメージからかけ離れた風景が多く見られるので除外した。文京区も都会だし、北区や江戸川区もなんとなく除外。

要はイメージ通りの下町情緒あふれる風景があって、かつ都心ではなく、再開発に侵食されたエリアが少ない上記の5区を「下町」と勝手に呼んでいるにすぎない。除外した文京区の中でも谷中、根津、千駄木のいわゆる谷根千エリアは下町だよなあと思うし、江戸川区も平井あたりは下町感がある。そういう適当な定義なので、ご了承願いたい。

 

葛飾区に引っ越してから、下町の街を探検した気付いたこと、山の手・城西と比べて異質な部分を、良い点と悪い点に分けて列挙してみた。

 

下町の良い点

  • 家賃が安い
  • 飲食店が安い
  • 飲食系、飲み屋はわけのわからない店が多く街並みが楽しげ。飲み屋に限らず気軽に商売をやってる人が多い
  • ローソン100がやたらとあったり、スーパーが安かったりと生活費を抑えられる
  • 変に気取った人がいない。気軽に外出できる
  • サウナ有名店が多い。特に上野と錦糸町

 

ここはちょっとなあ…という点

  • 葛飾区はハザードマップ真っ赤の危険地帯。川が多い。しかも水量もなかなかのものなので何となく怖い。特に荒川は多摩川と比べても数段怖い
  • 鉄道の路線図がカオス。いろんな行き方ができる一方で、どれも都心まで遠回りする感じ(京成線、常磐線、東武線など)なので結局バイクで行くのが一番早かったりする
  • 墨田区、荒川区あたりは狭い道が袋小路になっている、迷宮のようなエリアがある
  • ちゃんとした本屋、古着屋、レコード屋などカルチャー系が弱い。その手の店は御茶ノ水、秋葉原、上野あたりの都会までいかないとない(そこまで行ってもないかもしれない)

 

なんで葛飾区に引っ越したかというと、都心までの距離の割に家賃が安かったというのがある。

城西の家賃相場と比較すると、調布や狛江あたりよりも葛飾区のほうが安い。足立区はもっと安いだろう。

下町は災害に弱く、特に葛飾区などはハザードマップが真っ赤っ赤のエリアが大半を占めるので、家賃相場にはどうしても下げ圧力がかかる。不動産屋で契約するときに長々と説明を受けたのだが、いま住んでいる家も200年に一度の水害が起こると水没するらしい。

住宅ローンを組んでマイホームを買うとなると、やはりちょっと考えてしまうようなことだが、賃貸なら気は楽だ。たとえ水没しても「その時はその時」である。

引っ越す前に下見で最寄りの堀切菖蒲園駅周辺に来たとき、駅前がまるで活気が感じられない、いわゆるシャッター商店街だったので、少し暗い気分にはなったが、住んでしまえばわりと気にならない。少し遠いが綾瀬や北千住、亀有あたりはわりと活気もある。

 

葛飾区、および下町・城東に住むメリットのひとつは、安くて美味しい飲食店が多いことだ。世田谷区は家賃相場が高いこともあってか、ちょっとした外食でも値が張るし、安くてそれなりに美味しいものを食べようと思うとなんだかんだでチェーン店になる。

一方で葛飾区および下町・城東は、世田谷区と比べるとノリで始めてしまったような、気軽に商売をやってる安くて美味しい個人店がそれなりに生き残っている。

近所の弁当屋さん、惣菜屋さんなんかも400円台でそれなりのものが食べられるし、300円、290円でお弁当が買えてしまう店もある。チェーン店でもないのに300円ではたして利益なんか出るのだろうかと余計な心配までしてしまうが、とにかく安いのだ。世田谷だと、コンビニやオリジン弁当みたいなチェーン店は別として、野良でやってる個人店のお弁当だと500円以下はわりと選択肢が狭かったので、同じ東京でもこんなに相場が違うものかと、引っ越し当初は少し驚いたものだ。

 

サウナが多いのもいい。40代になって、週に一度はサウナに行かないと禁断症状が出るカラダになってしまったのだが、下町にはいわゆるサウナーが好んで通うようなサウナがとても多い。

上野や錦糸町はサウナのメッカで、有名サウナが集中するエリアだが、それ以外にもサウナを特集したムックで話題になるような店がそう遠くない距離にたくさんあるのはとても便利である。

世田谷区にはサウナーが通うようなサウナ施設はなく、そういうところに行こうと思ったら笹塚のマルシンスパまで行くしかなかった。あんなに広い世田谷区にこれといったサウナ施設がないのは奇妙な感じもするのだが、賃料が高いエリアでは成立しないビジネスなんだろう。

 

引っ越してここはちょっとなあと思うのは、まともな本屋とかレコード屋みたいなものは近所にほぼないことだ。古着屋も見かけない。そういう店に行こうと思ったら御茶ノ水とか秋葉原とか、上野とかあのあたりの都心部まで行くしかない。下北沢行けば、とりあえずなんとなかるみたいに思わせてくれるような街もない。そういうカルチャー系ショップが街なかにあるのは西側特有の文化だったのだなあとつくづく思う。

 

東京の歴史を調べてみると、徳川家康が来るまでは、平野は広大だが水害が多く生来の活気に欠けた地域だったように見える。

東京のいま発展している都心部のエリアはそれこそ何もなくて、活気があったのは武蔵国の首都たる府中とか、西側のエリアだ。

徳川家康が江戸城に移り住んでからも、政治機能の中心があるから人の往来があるにすぎず、大阪のように自然と人々が集まってくるという感じではなかったことが見て取れる。新横浜とか、あんな感じだろうか。政治的な理由で駅ができて、人の往来だけはあるが、それ以外は何もないような場所に近かったのかもしれない。

実際、明治維新後に武士が江戸からいなくなったことで、武士相手の仕事をしていた相当数の商人・町人が食いっぱぐれることとなり、その多くが横浜に移住したという記録もある。

東京の一極集中が叫ばれるようになったのは、歴史的に見ればつい最近のことで、1980年代までは関西圏にもそれなりに有名企業本社があった。

つまり、徳川家康以来、江戸幕府、大日本帝国政府、日本国政府が400年に渡って開発し続けて、90年代になってようやく東京が独り立ちしたのだ。

江戸時代に町人が自然と集まってくるような栄えたエリアは、今で言う両国のあたりだったらしい。当時は隅田川を境に東側は下総国だったので、「両方の国」という意味で両国となったとも聞いたことがある。

両国のあたりに町人が行き交う繁華街があったことから、明治になってからまずその周辺の東側が栄え、戦後になって西側にも人が増え始めた。下町情緒なるものは、まだ伸び代があった、かつての東京の残滓のようなものかなと思う。

 

実家を出るまでは世田谷、調布・狛江、町田、湘南とほぼ小田急線沿いの世界にしか住んでいなかったので東京の東側で青春を送っていたらどんな人生だったかなあと思う。

10代や20代の頃はやたらと渋谷・新宿・下北沢あたりで遊んでいたが、もっと違う街で遊んでいた気もする。下町側から渋谷・新宿はけっこう距離があるし、手前にほどよい繁華街があるので、心理的にも足が遠のく。

気軽にインディーズバンドのライブを観に行ったり、レコード屋をハシゴしたりといったこともしていなかった可能性が高い。

「自分らしさ」とでも言うべきものは、実は街によって知らず知らずのうちに作られていると言えるのかもしれない。